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令和 ✿ 万葉 ✿ 大宰府特集 ❀ 梅花歌三十二首の序と蘭亭集の序 ❀

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梅花歌三十二首の序と蘭亭集の序
        
 ―『万葉代匠記』より―❀


令和の時代となり、梅花の宴が催されたとされる坂本八幡神社(太宰府市)には、多くの人が訪れるようになりました。

『万葉集』(巻五)の「梅花歌三十二首」序の冒頭部分(以下)は、この宴が行われたことを述べています。

天平二年正月十三日、萃二于帥老之宅一、申宴会也。
〔天平二年(730)正月十三日に、帥老(大宰帥 大伴旅人)の宅に萃(あつ)まって宴を催した。〕

江戸時代前期の国学者 契沖(けいちゅう)が著した『万葉代匠記』(まんようだいしょうき、『万葉集』の注釈書では、上記の部分と王羲之(おうぎし)の「蘭亭集の序」(蘭亭記)とのつながりを、次のように説明しています。

これは羲之か蘭亭記の開端に、永和九年歳在二癸丑一、暮春之初会二于会稽山陰之蘭亭一。脩二禊事一也。
この筆法にならへりとみゆ。(『万葉代匠記』初稿本より)
〔これは、王羲之の「蘭亭記」のはじめに「永和九年(353)、癸丑(みずのとうし)の歳、旧暦三月はじめの三日、会稽(かいけい)郡山陰県の蘭亭で会合を催した。これは、禊(みそぎ)の行事を行うためであった。」とある、この書き方にならったようだ。〕

王羲之は、中国・東晋時代の貴族で書家としても知られています。彼は、会稽郡の長官として政治に携わっていた頃、名勝蘭亭(浙江省紹興県)で、謝安など当時の名士や息子たちを集めて曲水の宴を催し、出席した人たちが作った四言や五言の詩をまとめ、序を付けました。これは、大宰府の長官であった大伴旅人が、山上憶良や役人たちを招いて梅花の宴を開き、歌を詠じ、序を付したとされる頃から、約380年前のことになります。

そもそも中国では、三月最初の巳(み)の日に、川のほとりで禊をし、身を清めて一年の福を祈る風習がありました。これが、後に、宴の席で水の流れに杯を浮かべて杯が自分の前を流れ過ぎる前に詩を作る、それができなければ罰杯を飲む、という、貴族の風流な遊びに発展しました。

曲水の宴は、日本でも盛んにおこなわれるようになり、太宰府天満宮では今も三月に催されています。

以上のように、文学作品の注釈は、創作した作者の教養・作品内容の奥深さ・今に伝わる伝統文化などを理解するのに役立ちます。

日本語・日本文学科では、各時代の注釈を参考にしながら、古典作品を読んだり、学生が主体的に調べて発表したりする授業があります。

 注:律令制下の役所を指す場合は大宰府、現在の行政名は太宰府と表記しています。