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【英語学科の卒業生】シンガポールで日本語教師になります

今年3月に英語学科を卒業した別府来実さんは、7月よりシンガポールの語学学校に日本語教師として就職することが決まりました。自分の夢を掴んだ卒業生に、ゼミの指導教員だった山田直子先生が大学生活の話を聞きました。

 

Q(山田):大学で英語を専攻した理由を教えてもらえますか?

A(別府):高校生の時、私は海外に興味があって、国際的な仕事をしてみたいなとぼんやりとした意識を持っていました。それなら勉強するのはまずは英語かなと思って進路を選択しました。ぼんやりとしていた自分の夢が、4年後に実現したので、自分でもとても驚いています。

 

Q:4年間の学生生活について教えてください。

A:大学1年生の終わりから新型コロナ感染症の流行がはじまり、学生生活が大きく変わりました。海外に行きたいのに行けないという状況に直面したのですが、その原因が自分ではなく、自分ではどうしようもできない問題だったので、苦しかったです。でも、「こうなったら興味・関心があるものを、海外に直接関わるかどうかわからなくても、やってみよう」と気持ちを切り替えました。直感に従った感じです。2年生から自宅でのオンライン授業になりましたが、この期間中に国家資格である国内旅行業務取扱管理者の資格試験に合格しました。それで一つ達成感を得ました。

Q:それ以外にはどんな活動をしていましたか?

A:私は高校までバレーボールをしていたのですが、またしたいなと思いはじめました。自分も楽しみつつ、子どもたちの力にもなるのであればwin-winだなと思い、太宰府市の少年団に電話をかけてバレーボール指導のボランティアをさせてもらうことになりました。これは2年生の後半から卒業まで続けました。それから、3年生からは学内の国際交流活動のサポーターをしたり、4年生の4月からは外国にルーツをもつ小学生の学習支援ボランティアにも従事し、これも卒業まで続けました。何足もわらじを履いたので、自己管理能力が高まりました。


 

Q:筑女の授業はどうでしたか?

A:Intercultural Communicationの授業(山田先生担当)を通して、海外との関わり方に対する考えが変わりました。海外に興味があると言いながら、海外に行ったことがなかったし、外国人の友達もいたわけでもなかったので、自分の考えが漠然としていたのですが、授業では文化や言語が異なる人たちとオンラインや対面で交わり、対話をする経験が得られて色々な考え方や価値観に触れることで、自分の将来の可能性が広がりました。今まで見ていてもピンとこなかった国際交流基金の日本語パートナーズの案内を見て、海外で日本語を教えるという関わり方もあるんだと認識しました。その時はすでに3年生の終わりだったのですが、4年生の1年間で日本語教育副専攻が取れるということがわかり、挑戦し奇跡的に修了することができました。
 

Q:外国にルーツをもつ児童の支援はどうでしたか?

A:日本語教育を勉強しはじめていたので、日本語を教えることを想定してボランティアを始めました。でも、ボランティアに必要なものは日本語を教える能力というよりも、子どもの状況を理解するということだと思いました。親の都合で移住してきた小学生が、日本語がわからない状態で、異文化環境でポツンと一人で存在することの怖さ、この子の置かれた状況、心の状態をすごく考えさせられました。

Q:先ほど「直感に従って活動してきた」とお話しされていましたが、ここまでお聞きしていると、異文化の学びと経験、日本語教育に関する学習、子どもたちの支援活動など、実は全て繋がっているように見えますね。卒業式では「学長賞」も授与されました。

A:年齢や立場の異なる人、文化や考えの異なる人など、たくさんの人との関わり一緒に活動することができました。人と繋がる手段や方法は色々ありますね。全て自分に必要なもので、自然につながった気がします。人に見せるために行動したわけではないですが、小さい行動を認めていただいたことが嬉しかったです。成績で1位や2位を取るのとは異なる意味があると思いました。

Q: 7月からシンガポールの語学学校で、日本語教師の職に就かれるわけですが、筑女での学生生活は、海外での仕事にどのように生かされると思いますか?

A:学生時代に様々な人に出会い、自分の考えの幅が広がり、人と関わる力を身につけたと思います。この力は仕事や海外生活で役に立つと思います。どんな相手であっても、前向きに楽しく人間関係を作りたいです。

 

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