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公開講座「第13回仏教文化講座「親鸞~その思想をめぐって」④を開催しました【生涯学習センター】

 6月23日(水)太宰府市いきいき情報センターにおいて、第13回仏教文化講座「親鸞~その思想をめぐって~第4回 “自然~おのずからしからしむ~”」を開催しました。
 講師は本学短期大学部・現代教養学科 栗山俊之准教授です。
 この講座は、浄土真宗の開祖である親鸞聖人が説かれた思想を5回に分けて共に学んでいこうという連続講座です。今回はその第4回目。テーマは“自然(じねん)”です。
 まず、この自然について栗山先生から、親鸞聖人が晩年に辿り着いた境地、中核をなす思想、と説明がありました。
 次に、末尾に愚禿親鸞八十六歳とある「自然法爾(じねんほうに)」を分かりやすく読んでいかれました。私は、「自然といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。」という部分が印象的でした。現代語訳では「自然というのは、元来そのようにさせるということばです。」となっています。先生は、「私どうして女性に生まれたのだろう」とか「どうしてこんな顔をしてるのだろう」と考えた事はないですか。それは、自分で決めたものではないですよね。真実そのもののはたらきによってそうなのです、と会場の全体に話し掛けるように説明されていました。受講生の方々も、時には先生に向かって頷かれたり、時にはその例えに小さく笑われたりしながら、資料に目を落とされていました。
 考えてみれば、当たり前の事のようですが、確かに自分というものは、自分以外の大いなる力によりつくられています。生まれてから一年くらいしたら歩こう、と決めて歩きだしたわけではなく、そのようになっているから、みんなそうやって生きてきた。それだけで全ての人は御同朋、仲間だなぁと思いました。
 さらに、先生は「真実は、ひとりひとりに等しく届いている」と繰り返されていました。本来このような真実には「かたち」がありません。しかし、何もないままでは私たちが目覚める契機もなくなってしまいます。私たちが目覚めるためのきっかけとして私たちの前に“真実そのもの”として、現れて下さっているのが“弥陀仏”だそうです。どのような修業をしても自分には覚る事が出来ないと考えられた親鸞聖人は、その後、法然聖人の下でこの“弥陀仏”に出会われます。礼拝の時手を合わせて「南無阿弥陀仏」というのは、私たちはみんながみんな等しく尊いものとして真実を与えられている、全ての人は平等に救われるんだ、という“他力”に頷く事だそうです。
 親鸞聖人がその生涯をかけ、辿り着いた“自然”という思想は、独自に造り出したものではなく、そうなっているものなのだ、と気付かれたとても深い思想だと思いました。
 受講生の方には、「この講座は一回目から来ています」「毎年来ています」という方々が多く、感想を尋ねると「おもしろい」と真剣な面持ちで頷かれていました。次回、前期仏教文化講座の最終回に期待が高まります。
                    (報告/日本語・日本文学科 2年 江藤 ゆり)
次回は、7月7日(水)に開催いたします。
●公開講座の詳細・受講申込みはこちら
http://www.chikushi-u.ac.jp/campaign/lecture/index.html