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公開講座「『維新起原太宰府紀念編』の和歌④」を開催しました。

11月8日(土)本学1202教室にて公開講座「『維新起原太宰府紀念編』の和歌④」が開催されました。
前回に引き続き、幕末に太宰府へ追放された五卿のうち、三条西季知(すえとも)卿の歌を読み解きました。
講師は、本学発達臨床心理学科教授 赤塚睦男先生です。
今回味読したのは全11首。中でも、幕吏の小林甚六郎が五卿を大阪へ連行しようとやってきた頃に詠まれた歌が印象的でした。
   砕けても 玉は光の残るべし おもへば人は 名こそをしけれ
  (たとえ砕けたとしても玉には光が残っている。
   考えてみれば人は死んだあとの評判を汚すようなことはしたくないものだ)
『太宰府市史』の近世資料編『送迎解釈紀事』によると、小林に対して薩摩藩士は「島津の君命にて五卿を守衛している」と引き渡しに納得せず、武力行使に出たそうです。歌からは「死後我が名を汚すようなまねはするまい」という五卿の玉砕の覚悟が読み取れます。
史料には当時、太宰府市北谷地区でも大小砲が発せられたと記されています。幕末というと、遠い歴史上の話のようですが、学び舎のすぐそばでこんなドラマチックなことが起きたのかと思うと、ぐっと身近に感じられるから不思議です。
また、現在九州国立博物館で展示中の国宝「北野天神縁起絵巻」に描かれている、菅原道真が天拝山山頂で祭文を天に掲げている様子に関連し、次のような歌も紹介されました。
   けふこゝに 身は下ながら 往昔(いにしへ)の 後をとふこそ かしこかりけれ
  (今日天拝山に昇り、天神様に比べれば身分は低いけれども
   菅公が天に無実を訴えた故事の地を訪れたことは恐れ多いことである)
天皇の側近に陥れられ、無実の罪で太宰府へ流された菅公に、五卿は深く共感していたのでしょう。季知卿が天を仰ぎ、青天白日を祈った様子が浮かぶような歌です。
罪人として太宰府に下ってきた五卿ですが、幕府の力が弱まるにつれずいぶん自由に出歩けるようになったそうです。
赤塚先生は、五卿が訪れた小林酒造(宇美町)の茶室に立ち寄った時の話や写真などを交えながら、臨場感たっぷりに解説してくださいました。
引き続きこの講座は、来春5月に第5回目を開催する予定です。幕末の歴史と太宰府という土地、そして和歌を紡ぐ興趣の尽きない講座です。
皆様のご参加をお待ちしています。
(報告/大学院 人間科学研究科 坂口紀美子)
公開講座の詳細・受講申込みはこちら
http://www.chikushi-u.ac.jp/campaign/lecture/index.html