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公開講座「文学と南」(8)①を開催しました【社会連携センター】

「文学と南」(8) 近・現代詩の地平

第1回 「丸山豊の世界」講師:松下博文(本学教授)

 1月11日(土)、太宰府市いきいき情報センタ―209教室で、公開講座「文学と南(8)―近・現代詩の地平―」が開催されました。この講座は文学部日本語・日本文学科の松下博文教授がコーディネーターとなり、近・現代の詩人たちの文学的な営みを「南」との関係でとらえていく3回連続の講座です。第1回目の今回は「丸山豊の世界」と題して、松下博文先生が講師を務めました。

 講座は、軍医として従軍したビルマ戦線での思い出を綴った『月白の道 』をテキストにして話が展開されました。〈(つき)(しろ)〉とは、月の出の空の白みのことで、テキストのタイトルは、逃げ惑う中国兵を追って初めて雲南省に足を踏み入れた時に作った〈月白の道は雲南省となる〉という自作俳句から採られているそうです。

 わたしにとって最も衝撃的だったのは、その雲南省での出来事を書いた「雲南の門」でした。夜明けの薄暗がりの中、自分に近づいてくる農夫とも兵隊ともわからない中国人を初めてあやめた時の場面です。
 〈「近づくな、近づくな」と合図をするのだが、かれは相かわらずの速度で私によってくる。私は発射した。私は生まれてはじめて、この手で人間をあやめた〉――普通であればこうした出来事は誰にも言わず内部に封じ込めたままお墓に持っていく出来事でありながら、あえて公刊される文章にこのように書くことの凄みを感じました。丸山さんは、忌まわしい戦争の記憶と責任を虚偽なく一身で引き受ける気持ちでこのように書いたのではないかと感じました。やるせない気持ちになりました。

 水上源蔵陸軍少将のことも印象に残りました。水上少将は自分の部隊に玉砕命令が下されたにも関わらず上官の命令に背いて「生きる」ことを選択しました。その結果、丸山さんも生きて帰ってくることができました。しかし少将は軍命に背いた責任をとってその場でピストル自殺しました。部下を生き延びさせるために軍命に背き自らは命を絶った水上少将のお話も戦争のむごさを感じさせました。丸山さんは復員後に水上少将のご遺族を訪ね、ご遺骨をお渡ししたそうです。ご遺族も丸山さんも無念だったに違いありません。

 お話が終わったあと会場からは多くの質問や感想が寄せられました。受講生のみなさんは戦後生まれの方がほとんどでしたが、ご両親や親戚や戦争体験者から聞いたお話にはまだまだ生々しさが残っていて、戦後75年を迎えた令和の時代に戦争の記憶をどう語り継ぎ、また、向き合って行ったらいいのか、いろいろと考えさせられた講座でした。

 

報告/文学部 日本語・日本文学科1年 緒方いずみ(公開講座サポーター)