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公開講座「仏教文化講座 親鸞~その生涯をめぐって~」③を開催しました【生涯学習センター】

 6月17日(水)に太宰府市いきいき情報センターにおいて、第12回仏教文化講座「親鸞~その生涯をめぐって~」を開催しました。
 講師は本学教授の小山一行先生です。
 第3回となる今回は、「越後流罪から関東伝道へ」がテーマでした。
 親鸞聖人の生涯を見ていく中で、まず名乗りの変化について注目しました。松若丸、範宴、綽空、善信、親鸞と変わります。実は善信という名前までは他の人の名前などから影響を受けていますが、親鸞という名は流罪を機に自ら名乗ったものです。親鸞が流罪となった理由は何だったのでしょう。親鸞は法然の弟子の一人でしたが、法然の専修念仏の教えは、比叡山の衆徒から批判を受けます。念仏だけで全ての人が救われては社会を乱すとされ、旧仏教の教えを覆すものでした。『七箇条制誡』において190名の署名と、旧仏教の批判ではないと弁明をしますが、4人が死刑、法然と親鸞を含む8人が流罪となります。
 死刑が4人も出てしまうほど、何が問題とされたのでしょうか。旧仏教は修行のひとつとして念仏を唱え、仏に近づこうとする一方、法然は念仏は阿弥陀様の願いに順じた尊いものなので念仏だけで十分だ、仏に抱かれていることに気付くのが仏教であるとします。仏教観に違いが生じていることが分かります。流罪により今までの後ろ盾を失うことになりましたが、念仏者としての自覚が生まれ、念仏を深めるきっかけになったのではないかと小山先生はおっしゃいました。
 勅免された親鸞は、関東で精力的に伝道に励みます。それと同時期には、最も力を入れた書物『教行信証』を製作します。念仏は仏の声を聞くものとしています。念仏を唱えれば誰もが仏の声が聞こえてくるのです。親鸞は誰もが救われることが本当の仏教だと考えたのだと思います。同じ仏教でもすれ違いで弾圧が起きたことに心が痛みましたが、負けずに伝道に励んだ親鸞の真の強さを感じました。
                         (報告/日本語日本文学科2年 田原夏美)
*次回は7月1日(水)に開催します。
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