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公開講座「仏教文化講座 親鸞~その生涯をめぐって~」②を開催しました【生涯学習センター】

 6月10日(水)に、太宰府市 いきいき情報センターで、「第12回仏教文化講座 親鸞~その生涯をめぐって~ ②法然上人との出会い」を開催しました。
 講師は、筑紫女学園大学非常勤講師の毛利俊英先生です。
 本講座は全5回の講義を通じて、「人間親鸞の生涯と、仏の教え」に触れることを主眼としています。今回の第2回では、親鸞を導いた師法然や親鸞の妻である恵信尼にも焦点を当てて、親鸞の念仏の教えとの出会いとその経緯について解説されました。
 仏教では、「戒・定・慧」の三学によって煩悩を断じ、この世で覚りをひらく事が基本的な修行の道筋と考えられています。しかしながら、親鸞自身もこの“煩悩を戒律で縛る”ことにとても悩まされました。四種念仏(称名念仏・観像念仏・観相念仏・実相念仏)の中でも、臨終の念仏を重視する源信の学流(臨終の時、阿弥陀仏を念ずれば、浄土に行けるという思想)を学びつつ、自己の煩悩に深く悩んで親鸞は比叡山を下ります。そして、六角堂での九十五日目の夢告を経て、真実の教えを求めて法然のもとへ馳せ参じるのです。
 法然は幼少の頃、自身の父を夜襲によって失い、「恨みは恨みを繰り返すだけで、何も変わらない。人から恨みを買うのは自身の宿報である。」という父の遺言に従って出家します。その後、比叡山で修行しつつ、善導大師の著作に基づき阿弥陀仏の本願の教えに出会います。法然のもとには、お互いを恨みあった者であっても、愛や苦、憎しみを越える教えに救いを見出した、多くの弟子たちが集いました。親鸞も法然上人によって、絶望から慈悲の救いへと導びかれ、 33歳の時に上人から「綽空」という名を授かり、夢のお告げにより「親鸞」と改名します。
 また、親鸞の生涯には、愛妻「恵信尼」の存在も大きく関わっています。彼女が娘である覚信尼に宛てた文書の追伸部からも、二人がどれほど互いを思い合っていたのかがうかがわれます。また、今回の講座では、恵信尼が親鸞を「聖人」と呼び、どれほど慕い尊敬していたのかが垣間見え、微笑ましい夫婦であったことが分かりました。
 予定していた受講者数を大きく上回り、真剣にメモを取られる方、毛利先生の意見に頷かれる方が、大変多くいらっしゃいました。また、最後の質疑応答を設けた時間では、積極的に毛利先生に質問をされる方もいらっしゃいました。今回の講座は、大盛況のうちに非常に充実した時間となりました。
                   (報告/日本語・日本文学科 2年 山本侑加)
*次回は6月17日(水)に開催します。
●公開講座の詳細・受講申込みはこちら
http://www.chikushi-u.ac.jp/campaign/lecture/index.html