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公開講座「仏教文化講座 親鸞~その生涯をめぐって~」①を開催しました【生涯学習センター】

 6月3日(水)に、太宰府市いきいき情報センターにおいて、「第12回仏教文化講座 親鸞~その生涯をめぐって~」を行いました。全部で5回にわたり、親鸞聖人の生涯を通じて「仏の教え」に触れます。
今回のテーマは「誕生から比叡山修学へ」、講師は筑紫女学園大学准教授の中西直樹先生です。第1回目となる今回は、親鸞聖人の生涯を6つに分類した中で、幼年時代と叡山時代を中心に講座は進みました。当日は大変多くの方にお越しいただき、席を追加するほどの大盛況でした。
 親鸞が生まれた時代は、天災・兵乱といった現代をしのぐ混乱の世であり、鴨長明の「方丈記」にもその様子は記されています。濁悪世(ぢょくあくせ)という文字通りの世の中は末法思想へと繋がり、もはや人々は教え(理念)を実感できなくなってしまいます。現代でも理想と現実が違うように、当時も理念と現実が一致しなかったようです。これらは一致しないけれど調和していくもので、迷いが生じても理念に忠実であろうとすることが大切だといいます。
 そして9歳で出家した親鸞は、あらゆる仏教に精通した優秀な僧だったそうです。当時は修行僧の二大勢力があり、教団内のエリートの人々・学生(学侶)、社会的身分の低い人々・堂衆に分けられます。なぜ、このように二分化しているのでしょうか。それは、平安時代に国が傾き、パトロンを探していくうちに、パトロン(貴族)を教団の上に置くようになったからだそうです。
 そうして教団と政治が癒着する中、理念と現実の矛盾が生じます。「教え」では全ての人々が平等に救われるはずですが、大乗菩薩実践者養成のために細分化した修行段階ができ、僧侶・貴族しか修行できなくなります。厳しい念仏修行も行われ、修行は時間的・金銭的余裕のある人に限定されます。矛盾は現実社会にも影響し、支配する人・される人、差別する人・される人が出てきます。つまり社会的弱者は宗教的劣位者となり、救われる道も閉ざされてしまいます。
 そのような中で、親鸞は疑問を抱きます。教団と政治権力の癒着、細分化された修行段階、厳しい念仏修行などです。中でも、僧侶としてのあり方についての考えは大きなものがあるように感じます。僧侶という特権は一般市民・女性を見下すようになってしまいました。皆等しく仏の下で学ぶ、人間の存在意義を問いかけます。
 講座の最後には参加者から質問も挙がり、皆さん熱心に耳を傾けていました。親鸞は社会から阻害された人々の立場に立ち、等しく学ぶことを大切にしています。当時と現在には、何か似たようなものがあるのではないでしょうか。自分以外は敵のように競争が激しい世の中だからこそ、心を落ち着けて平等な目でみることも大切なことであると感じました。
                     (報告/日本語日本文学科2年 田原夏美)
*次回は6月10日(水)に開催します。
●公開講座の詳細・受講申込みはこちら
http://www.chikushi-u.ac.jp/campaign/lecture/index.html