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公開講座「文学と南(9)」③を開催しました【社会連携センター】

講演・シンポジウム/崎山多美の世界
——南島・言語・コザ・戦争の記憶——
『うんじゅが、ナサキ』『クジャ幻視行』『月や、あらん』の世界を通して

11月7日(土)の最終回の公開講座は、日本近代文学会九州支部との共催で、作家の崎山多美さんをゲストにお迎えし、第1部が崎山さんの講演、第2部が立教大学教授石川巧氏、沖縄国際大学准教授村上陽子氏、本学教授松下博文氏、それに崎山多美さんを加えての4名のシンポジウムという、2部立てで開催されました。

講演は「記憶の声を聴く」と題して、小説を書き始めるまでの既存の日本文学との葛藤、ニホンゴとの葛藤、また、生まれ島で経験した生活のなかでの様々な体験等、ネガティブな記憶として存在していた「島」を、「シマ」としてフィクションにすることで書く意識が生まれ、周辺の多くのものとの違和感を経て、それらの記憶を、最終的に文字化し文学にすることにたどり着いたという内容でした。

講演でとくに印象深かったのは、「母」についてのお話でした。崎山さんのお話からは、過去の記憶が思い出したくない嫌悪感だらけの記憶であること、「記憶の声を聴く」というテーマの根幹に母という存在が大きく関わっていること、を強く感じることができました。

母がむかし歌っていたという島唄デンサー節を取り上げながら、なぜ島で苦労した母が島を思う唄を歌うのだろうと疑問に感じたものの、しかしその唄で、苦労していた自分を励ましていたんだ、という考えに至ったと話された場面では、実際に母が歌っていたデンサー節を崎山さんが歌われました。

元々この講演でこの唄を歌うことは予定になかったそうですが、「母が降りてきて歌うように言われている」と崎山さんが言われた時には、わたしはまさにこの瞬間、崎山多美の世界に入り込んだような感覚を覚え、衝撃を受けました。

シンポジウムでは、石川氏「闇に蹲る者たちの声/世界の裂け目を聴くコトバ――崎山多美論序説」、村上氏「変成する聴き手となるために—−コトバにカチャーされる身体」、松下氏「コトバの選択―母語をめぐって」というタイトルのもと、それぞれの自論を展開し、最後は崎山さんを含めた4名交えての質疑応答が行われました。シンポジウムは方言や言葉についての質問が多く、崎山さんが丁寧に答えていました。わたし自身、今回の講演は、1回目と2回目で触れた崎山多美の世界を、実際に本人の話を聞きながら深めていく、貴重な機会になりました。

報告/文学部 日本語・日本文学科3年 庄籠美奈