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公開講座「文学と南(7)」①を開催しました【社会連携センター】

近・現代詩の地平 第1回 

「北原白秋の世界―「わが生ひたち」を読む―」講師:松下博文(本学教授)

 9月14日(土)、太宰府市いきいき情報センタ―209教室にて、公開講座「文学と南(7)―近・現代詩の地平―」を開催しました。
 この講座は文学部日本語・日本文学科の松下博文教授がコーディネーターとなり、近・現代の詩人たちの文学的な営みを「南」との関係でとらえていく3回連続の講座です。

 第1回目の今回は「北原白秋の世界―「わが生ひたち」を読む―」と題して、松下博文先生が講師を務めました。
 講座は、詩集『思ひ出 』冒頭にある自伝「わが生ひ立ち」の3章部分をテキストとして、白秋が育った柳川市沖端を軸に話が展開されました。
 「みなさんは、白秋生家に行かれたことがありますか?」との問いかけに始まり、沖端に伝わる六騎(ろっきゅ)という言葉が平家落人伝説に由来するものであること、生家だけでなく生家の裏手を注意しながら散策してみるといっそう白秋の世界に深く触れられることが語られました。
 また、「わが生ひ立ち」に登場する地理的空間(道や橋)は現在でもほとんど変わらず残っており、テキストに導かれながら当時そのままを辿ることができるとしながらも、生家前にあった銀行跡の建物をはじめ、テキストの中心を為すいくつかの建物を無造作に取り壊したのは、街並景観(文化財保護)の視点から見て文化行政の在り方が問われると警鐘を鳴らしました。
 『思ひ出』表紙のローマ字表記についても、ローマ字表記によって言葉の実体がなくなるとし、白秋が実体のない〈思い出〉として柳川を封じ込めようとしたとき、追憶ではなく自分の手から届かないところにあるもの・すでに実体がなく形骸化したものという意味で、「OMOIDE」というローマ字表記にしたのではないかと述べられました。

 受講者からは、生家の近くには藍玉屋があるとの話があったが、藍染めそのものが柳川で行われていたのかといったことや、なぜ、白秋の詩(詞)はかわいらしいのかということ、表紙のトランプのクイーンについては意匠としてどのように考えるのかといったこと、さらには先生が好きな白秋の詩は何かというようなことまで様々な質問が寄せられました。
 講座の途中で随時、白秋作詞・山田耕筰作曲の歌がかけられたことや、先生からの問いかけに対して受講者のみなさんから積極的に発言が起こったこともあって終始和やかな雰囲気の講座となりました。

報告/文学部 日本語・日本文学科4年 山下知夏(公開講座サポーター)

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