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公開上映会「ドキュメンタリー映画上映会」を開催しました【生涯学習センター】

映画「花の夢―ある中国残留婦人―」を見て

 自分には、何もできなかった。
 映画を観て、一番印象的だったのがこの言葉です。

 映画の主人公、栗原さんの「誰も助けられなかった」という言葉、栗原さんの友人の藤田さんが何度も繰り返した「なんにもできねぇ」という言葉、栗原さんの次女の優子さんが亡くなった父へ向けた「何もしてあげられなかった」という言葉。
 彼女たちが自身の無力を嘆く姿に、胸が締めつけられる思いでした。そして、それと同時に感じたのが、自分が経験したつらい境遇よりも、誰かのことを気遣う言葉が出てくるという衝撃です。

1 制作当時の思いを語る東監督

 映画で知った、栗原さんたち中国残留婦人の方々の経験は、耳を塞ぎたくなるような過酷なものでした。十代で異国の地へ渡り、日本へ帰ることもできないまま結婚して、空襲で何人もの友人や生まれた子供を亡くしたそうです。
 そんな状況で栗原さんたちは、心身ともに傷ついて、きっと他人に構っている暇などなかったことだと思います。映画を観ただけの私ですら、そのような酷い状況では仕方のないことだと思うのですから、それを実際に経験した栗原さんたちはもっと大変だったはずです。悲しみも、憤りも、恨み言だってたくさんあったことだと思います。
 しかし、彼女たちは自身のことよりも他者のために涙を流し、助けられなかった命に対して、その無力を嘆いていました。自分がつらい状況であったのに、まず他者へ心を傾け、気遣っていたのです。その尊い姿に心を動かされずにはいられませんでした。

 また、「棄民」という言葉には衝撃を受けました。私は「中国残留婦人」について、言葉だけは聞いたことがあるという程度で、詳しいことは何も知らず、知ろうともしてきませんでした。
 しかし今回、映画や資料を通してわずかながら学び、その理不尽な扱いを知りました。栗原さんたちは国のため、国政のため、日本の家族と別れ、中国に渡りました。しかも、8か月後には日本に戻れると信じていました。しかし、現実にはそのようなことはなく、中国に取り残され、政府からの連絡も途絶えてしまいました。
 日本政府に「棄てられた」栗原さんを救ってくれたのは、中国人である長勝さんでした。彼は自身も貧しさに苦しむ中、栗原さんと彼女の生まれたばかりの子供のために、自分のことは放り出して行動してくれたそうです。

2 質疑応答の場面

 栗原さんたちにとって冷たかった「日本」と、手を差し伸べてくれた「中国人」の長勝さん。その事実に一種の皮肉を感じずにはいられませんでした。
 しかし同時に、人を助けるということに国籍は関係ないということも知れたと思います。苦しんでいる人がいたら、自分にできることはないかと行動を起こしてくれる人がいること、そこに国籍は関係なく国境もないということを、長勝さんの行動から学びました。私もそのような人物であらねばならないと強く感じています。

 戦争を知らず、暖衣飽食の時代を生きる私たちにとって、少なからず戦争は遠い世界のものであるという感覚があります。しかし、それではいけないのだと今回の映画を通して感じることができました。
 また、自分の無知を思った時、栗原さんたちのような思いをした人々がいることを誰も知らないまま時が過ぎ、これだけ悲惨な出来事をいつかなかったことにされてしまうのではないかという恐怖も感じました。
 平和は本当に尊く素晴らしいことですが、だからといって現状に甘んじて戦争を忘れ去ってしまうのは誤りだと思います。過去の歴史を振り返り、その教訓を活かすためにも、戦争の記憶を次世代へと引き継いでいく努力が必要であると感じました。

3 東志津監督とコーディネーターの
髙山百合子教授(文学部)

(7月9日(土)本学スカヴァーティーホールにて)
報告/文学部日本語日本文学科4年 有馬枝里(公開講座サポーター)

 

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