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公開講座「第21回仏教学研究室公開講義」⑤を開催しました。【生涯学習センター】

11月1日(土)15:00から、柳川市の柳川総合保健福祉センター「水の郷」において、第21回仏教学研究室公開講座「ビジュアル~ブッダの歩んだ道~ ⑤涅槃の地:クシナガル」を開催しました。講師は人間科学部の中川正法教授です。

最終回である今回のテーマは、涅槃の地:クシナガルです。お釈迦様が亡くなられたことを「亡くなった」「死んだ」とは表現しません。「入滅された」または「涅槃に入られた」と表現します。

お釈迦様は2月15日に、80歳で涅槃に入られました。しかし、何年に涅槃に入られたのか分からず、学者の間で研究が進んでいます。これを「仏滅年代論」といいます。仏滅年代論にのうち、まず5つの学説が示されました。一般的なのが中村元先生の前463年~383年説です。しかし、第一回目の講座で話題になったマーカーストーンの下に発見された遺跡により、生年説が早まる可能性があります。そうすると、南方仏教の史伝と仏歴による、前624年~544年説が一般的になる可能性があるのです。仏滅年代論には多くの学説がありますが、一つの共通点があります。それは、すべて生誕から涅槃まで80年間なのです。

80歳になったお釈迦様は、多くの弟子を連れて遊行の旅へ出ます。王舎城を出発して、故郷のカピラ城へ帰ろうとしていました。その旅の途中で訪れたクシナガルで涅槃に入られます。クシナガルに着いたお釈迦様は、弟子のアーナンダに「二本並んだサーラ樹の間に床を用意してくれ。」と言います。そして用意が終わると、お釈迦様は頭を北に右脇を下にして、足の上に足を重ね、正しく心をどどめはじめました。そこに、遍歴行者のスバッダがお釈迦様に会いたいと弟子のアーナンダのもとに訪れます。これをアーナンダは拒むのですが、二人の会話を聞いていたお釈迦様はアーナンダに、スバッダを自分の所に来させるよう言います。そして、お釈迦様はスバッダに直接教えを説くのです。スバッダはお釈迦様の最後の直弟子となります。その後、お釈迦様は涅槃に入られます。その日は第二の月の満月の日、日本では2月15日と伝えられています。

涅槃の後、お釈迦様の遺体は五百枚の布に包まれ荼毘(火葬)に付されます。お釈迦様の遺骨を「舎利」と言います。お釈迦様の遺体が火葬された後、舎利を誰がどこに持っていって、安置するのか問題になり争いが起きようとしていました(舎利争奪戦)。しかし、バラモンのドローナの仲裁によって、舎利は八つに分配され争いは未然に防がれました。八つの舎利は、それぞれの国や地域に持ち帰られ八つのストゥーパ(仏塔)の中に納められました。仏塔にはたくさんの人々が参詣に訪れ、仏塔を中心にお釈迦様の教えが広く説かれていったのです。

 最終回の講座は3連休と重なりまた雨が降り足元が悪いなかでしたが、たくさんの方にお越しいただきました。今回は初めて、柳川の地で仏教公開講座を開催させていただきましたが、皆様のご協力により無事に終わることができました。ありがとうございました。

報告/文学部英語学科 4年 角熊理歩 (公開講座サポーター )

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