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公開講座「第21回仏教学研究室公開講義」①を開催しました。【生涯学習センター】

9月27日(土)15:00から、柳川市の柳川総合保健福祉センター「水の郷」において、第21回仏教学研究室公開講座「ビジュアル~ブッダの歩んだ道~ ①ブッダ生誕の地:ルンビニー」を開催しました。講師は文学部の小林久泰准教授です。

この講座は5回に渡って、ブッダの生涯を、現在のインド、ネパールの写真資料とともに紹介し、四大仏蹟を含めブッダが歩いた道をたどり、それぞれの地にちなんだブッダの教えについて解説していきます。

第1回目はブッダ生誕の地、ルンビニーについてたくさんの写真資料を用いながらの講座でした。ルンビニー園のマヤ堂という建物の南には池があります。この池は、マーヤー夫人がブッダを生む前に沐浴した場所だと言われています。例えば、五世紀、中国の僧法顕が書いた『法顕伝』の中に以下のような記述があります。

「カピラ城(ブッダの国の中心地)の東五十里に王園がある。園の名はルンビニーという。マーヤー夫人は池に入って洗浴し、池を出て北岸を歩むこと二十歩、手をあげて樹枝をつかみ東向して太子を生んだ。(中略)そして夫人の洗浴の池は、今衆僧が常にその水を取って飲んでいる。」
また、七世紀の玄奘もルンビニーを訪れており、以下のような記録を残しています。
「箭泉、東方へ行くこと八、九十里でルンビニー園にいたる。釈種が水浴する池がある。水は清く、鏡のようにとりどりの花は咲き乱れている。その北、二十四、五歩の所に、無憂華樹があるが、今はもう涸れてしまっている。菩薩が降誕された処である。」
実際にブッダが生まれたとされる地点から池まで約31.6mあります。法顕や玄奘の記録によると、その距離は二十歩から二十五歩だと言われていますが、それは本当でしょうか。一歩が1.3〜1.6m、つまりかなりの大股で歩く人なら、それも可能でしょうが。
 この問題について講座では、当時、中国では「歩(ぶ)」という距離の単位を使用してたこと、それは平たく言えば、現在の二歩歩いた距離に相当し、一歩(ぶ)1.35m前後であることを解説していただきました。つまり、法顕や玄奘によるこれらの記述は、現在の池からマヤ堂内の誕生地点とかなり一致しているという訳です。
 1995年、発掘調査を通して、ブッダ誕生地の印とされる「マーカーストーン」が発見されました。講座では、この発見によりマヤ堂の側にあるアショーカ王柱の碑文の解釈が大幅に修正されたことを解説いただきました。文献に基づく従来の研究が最新の考古学的調査の成果により、さらなる段階へと進んでいっているインド研究の現状を熱くご紹介いただきました。

今回は市外にもかかわらず約40名の方にお越しいただき、有意義な時間を過ごせた講座でした。

報告/文学部英語学科 4年 角熊理歩 (公開講座サポーター )

*今後の予定は、以下のとおりです。
②10月 4日(土) 成道の地:ブッダガヤ
講師:中川正法(人間科学部教授)
③10月11日(土) 初転法輪の地:サールナート
講師:小林久泰(文学部准教授)
④10月18日(土) 王舎城の悲劇:ラージキル
講師:宇治和貴(人間科学部講師)
⑤11月 1日(土) 涅槃の地:クシナガル
講師:中川正法(人間科学部教授)

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