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オープンキャンパス✿ミニ講義ダイジェスト(3) ☆日文の学び

 2021年8月22日、オンラインで行ったオープンキャンパスでのミニ講義をご紹介します。
 午前の部は、出雲俊江教授です。「短歌とはなにか」という問いを通して、伝えること、伝えないこと、届かないこと・・・ 一緒に考えてみましょう。

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  ■ 届かぬ想い  近・現代短歌を読む

出雲 俊江 教授

1. 短歌は「歌声」を希求する   「短歌」の特性について

 短歌の特徴は、大きく2つあります。
 一つは、みなさんご存じの 5 7 5 7 7 という形です。
 実は、もう一つの特徴として、短歌は「歌」でなければならない というのがあるのです。

 歌といっても、曲がついているというのではなくて、人が、自分の思いを声にしたものが「歌」です。短歌は、それを作った人の、思いを伝える声でなければならない、というのがあるのです。
 自分の思いを伝えている文芸は、他にたくさんありますけれど、それが条件になっているのが短歌なのです。

    あなたの伝えたい思いって何ですか?
    伝えたい気持ちがあるとき、どうしていますか?

 伝えたいんだけど、伝えない時ってありますよね。伝えたい、でも伝えない。
 言ってもどうせ伝わらないから、言ったって何も変わらないから。
 それから、もう亡くなってしまった人に、そして片思いも。きっと叶わない恋なのに、思いが止まらない。他には、嫉妬とか、後悔とか、自分だけ仲間はずれになってるとか。

 黙っているのは辛くて、こみ上げてくる。ため息のように漏れてくる。
    短歌はそんな人間の声の器なのです

    事件      「歌」とはいえない短歌が現れた!

 少し前(2014年)、短歌界で事件が起こりました。「歌」とは言えない短歌が現れたのです。

「スピードは守れ」と吐きし老人がハンドルをむずと握るベッドで

  遺影にて初めて父と目があったような気がする ここで初めて
                       
石井遼一「父親のような雨にうたれて」

 これは、老人がベッドでたぶん妄想の中にいる。そして亡くなった。それはお父さんで、亡くなって初めて向き合うことができた。という心を打つ歌です。それでこの歌は賞を受けました。
 ところが、授賞式の前になって、お父さんが生きていることが分かったのです。聞いてみると、実はあれは祖父のことだったのだけれど、父にしちゃったということでした。
 短歌を作っている人たちは、これはまずいんじゃないかという話になりました。みなさんはどう思いますか。

    どうしてダメなのでしょう。

 お父さんの方が泣けるから父に変えた、というのは何かが違う。では虚構はだめなのか?いや、虚構であっても、その人の歌が深いところで感じられるのだったらいいよ、という。
 この事件は、短歌は、その人の「歌」=思いを伝える声でなければならないという、短歌を作っている人たちの了解事項みたいなものが明らかになった出来事でした。この後、短歌を作る人の間で、虚構と作者の関係をどう考えるのか、ということが今もずっと議論されています。

 でも、虚構の文芸はたくさんあります、私たちはそういう虚構の文芸とどう付き合っているのか、これを小さなまとめにしておこうと思います。
 私たちは、殺人事件が出てくる話とか、そういうのを読んで、作者が殺人の経験があるに違いないと思って読んだりしませんよね。書かれた世界と作者は別のものとして読みます。
 まず、一つの付き合い方として、ファンタジーとか、怖い話とかは、虚構作品を消費するものとして楽しんでいる。次に虚構作品が、私たちの現実とつながっているのを感じて、食い込んでくることもありますね。

 それとは違って、短歌の面白さって、それが作者自身の声としてあるというところにあります。面白いでしょう。そういう人の声に向き合おうというのが、短歌を読むことなのだというお話でした。

2. 「歌」としての短歌   短歌の声に耳を澄ます

 この後には、今回のミニ講義でご紹介した短歌を上げておきます。私のゼミ生からの推薦歌もあります。
 また皆さんと一緒に、これいいね、とか言いながらわいわいできる、そんな日がくるといいですね。

いつか皆さんとまた会えますように。

   近代の短歌(明治)
             
作品の内容が作者の現実と直接つながっています。

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり​
                       
正岡子規『墨汁一滴』1901年
その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
                     
  与謝野晶子『みだれ髪』1901年
白鳥は哀しからずや空の青海の青にも染まずただよふ

幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ國ぞ今日も旅ゆく  若山牧水『海の聲』1908年

*おまけ  牧水は哀しからずやテスト後に忘れ去られる白鳥の歌  溝井亜希子『かばん新人特集 vol.3』

   近代の短歌(大正)   自分の姿をスケッチするように描く

みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞいそぐなりけれ
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳ねの母は死にたまふなり
                      
  斎藤茂吉『赤光』大正二年(1913)
草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしくて寝て削るなり   北原白秋『桐の花』大正二年(1913)

生きながら針に貫かれし蝶のごと悶へつつなほ飛ばむとぞする  原阿佐緒「狼狽」大正十二年(1923)

戦後 前衛短歌の登場  直接作者の事実を伝えていなくても作者の思いが伝わります

日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係も  塚本邦雄『日本人霊歌』昭和33年(1958)

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや  寺山修司『空には本』昭和33年(1958)

☆ 現代短歌抄   歌声、聞こえますか

好きなことを好きなだけする生活に一番好きなあなたがいない
                       
加藤千恵『好きなことを好きな時に好きな場所で好きなだけ』2020年
君が生まれた町のとなりの駅前の不動産屋の看板の裏に愛のしるしを書いておいた 見てくれ
                               
フラワーしげる『ピットとデシベル』2020年
ばあちゃん家いきたくならない? 冬に窓開けてソーセージゆでてたら  伊舎堂 仁『トントングラム』2014年

押しボタン式だと知らず待っているように川辺に立っている人  寺井奈緒美『アーのようなカー』

今日我はオオクワガタの静けさでホームの壁にもたれていたり  早川志織

結果より過程が大事「カルピス」と「冷めてしまったホットカルピス」  枡野浩一『てのりくじら』1997年

住みながらこの国だんだん遠くなるてんじんさまのほそみちのやう  馬場あき子『記憶の森の時間』2015年

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって        
牛乳パックの口を開けたもう死んでもいいというくらい完璧に
                    
中澤系『uta 0001.txt』(雁書館)2004年
「お客さん」「いえ、渡辺です」「渡辺さん、お箸とスプーンおつけしますか」
                 
 斉藤斎藤『渡辺のわたし』2004年
どうやって生きてゆこうか八月のソフトクリームの垂れざまを見る  陣崎草子

神様にごめんなさいを言いながら舌を出したり舌を噛んだり  田丸まひる『晴れのち神様』2004年

誰一人気づきはしない0.2ptフォントサイズを下げる  千原こはぎ『ちるとしふと』2018年

わが裡のしづかなる津波てんでんこおかあさんごめん、手を離します  川野里子『硝子の島』2017年

ハッピーじゃないエンドでも面白い映画みたいに よい人生を  桝野浩一『歌 ロングロングショートソングロング』

一様に屈折する声、言葉、ひかりわたしはゆめをみるみず  笹井宏之『てんとろり』2011年

呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる  穂村弘『シンジケート』1990年

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No.138 **********