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公開講座「仏教入門~ブッダの生涯を通じて仏教を学ぶ~」⑤を開催しました【生涯学習センター】

 11月4日(水)久留米市生涯学習センター「えーるピア久留米」において,第15回仏教学研究室公開講座『仏教入門〜ブッダの生涯を通じて仏教を学ぶ〜』を開催しました.
全5回にわたり,ブッダの生涯について学びます.
最終回の今回は「大いなる死」と題し,経典に残されたブッダの入滅前後の様子と説法についてお話になりました。
講師は現代教養学科の栗山俊之准教授です.
 まず、ブッダの覚りである無常・苦・無我についてお話されました。この世界のありとあらゆるものは、よくも悪くも変化し続けます(無常)。それは私達人間の思い通りにならない(苦)ものばかりで、これが苦を生み出します。なぜこんなに苦しいのか?どうしたら苦しみから逃れられるのか?この問題を突き詰めていくうちにブッダは、自分を超えた大いなる力がすべてにはたらき、その力によって自分は生かされているのだという事に気づきます。そして、他の人々も同じように生かされ、誰もが等しく尊いという結論(無我)に達するのです。
 ブッダの十大弟子の一人にアーナンダという人がいます。常にブッダの近くでお世話をし、ブッダの説法をより多く聞いたので多聞第一と呼ばれています。アーナンダはその優しさや人間らしさが逆効果となって、ブッダの生前中、他の弟子達と同じようにさとりを得ることができませんでした。
 アーナンダはブッダの入滅の際、これから何を頼りに生きていったらいいのかと不安をもらします。それに対してブッダはいくつかの言葉を残しています。「汝は現在も、私の死後も、汝自身をよりどころとし、真理をよりどころとすべきである。」「お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるのである。」
 ブッダの死は一見すると、仏教徒達にとって大きな痛手のように見えます。しかしブッダは悲しむ弟子をなぐさめ、最期まで教えを説き続けました。自分の死さえ弟子達の覚りの契機と考えていたのでしょう。この死から私達はどれだけの事を感じ、学ぶ事ができるでしょうか。
 全5回の仏教講座も今回が最終回となります。急激に冷え込んだ中での講座でしたが、多くの方のご参加がありました。質疑応答の際も活発な意見交換がなされ充実した時間でした。
                     (報告/日本語・日本文学科4年 塚本杏菜)
●平成22年度も、さまざまな公開講座を開催する予定です。
 どうぞ、よろしくお願いいたします。
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