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公開講座「アジア塾~酒と人の物語~」(第3回)を開催しました。

「アジア・酒と人の物語」をテーマに開催してきた「アジア塾」の最終回が10月16日(木)、福岡市男女共同参画推進センター・アミカスで開かれました。
西アジアの考古学がご専門の本学アジア文化学科教授 大津忠彦先生が「西アジア・ビールとワインの故郷から」をテーマにお話しくださいました。
イスラム教・ユダヤ教・キリスト教の聖地、エルサレムに代表されるとおり、西アジアには多くの宗教の歴史があり、それぞれの聖典に「酒」が数多く登場しています。
大津先生は、イスラム教聖典『コーラン』の「酒と賭矢と偶像神、占矢はいずれも厭うべき」、ユダヤ教聖典『旧約聖書』の「ブドウ酒は人の心を喜ばせる」のほか、キリスト教の聖典『新約聖書』ではワインがキリストの血として表現されていることを挙げられました。
イランの詩人、ウマル・ハイヤームが詠んだ詩の「・・右手に教典(=コーラン)、左手に酒杯・・」部分からは、たとえ宗教的に禁じられていても酒と人が切っても切れない間柄だったことが想像できます。
また西アジアでは、古くから自生していた大麦の麦芽を原料にしたビールも誕生しました。
古代都市国家、シュメールの文学には既に多種のビールがあったことが記され、「楽しみはビール、嫌なことは徴兵の遠征」という格言が残っているそうです。この感覚は現代の私たちともぴったりです。
しかし、お酒は楽しみばかりではなく、トラブルの種でもあったようです。
「目には目を、歯には歯を」で有名な『ハンムラビ法典』には、居酒屋の女主人との諍いなど細かい律が定められており、裏を返せば、それだけ酒の上でのトラブルが絶えなかったということでしょう。
さらにエジプトまで範囲を広げると、約4000年前に書かれた『ドゥアケティの教訓』には、「もっとビールが飲みたいという気持ちと戦え」、『アニの教訓』には、「ビールを飲みすぎてはならぬ」と処世訓が記されています。楽しみの昂じた弊害があったからこその苦言のようです。
大津先生は「文学や法典の中に多く出てくる酒の話のウラを読むことで、当時の様子が見えてきます」と解説なさいました。
今年度のアジア塾は今回で最終回です。3回にわたる講座を通して、アジアの多彩な文化を生み出した酒と人の物語を辿ってきました。
私も、美味しいビールに感動したり、深酔いして「もうお酒は止めよう・・」と反省したり、お酒と多彩な付き合いをしていることを思い出しました。
そしてそれは、日本から8000キロも離れた西アジアでも変わらないことを知り、ますますアジアとお酒に親しみがわいた連続講座でした。
(報告/大学院 人間科学研究科 坂口紀美子)
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http://www.chikushi-u.ac.jp/campaign/lecture/index.html