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公開講座「日本人の教養~かなと漢字~」(第2回)を開催しました。

10月4日(土) 太宰府市いきいき情報センターにおいて、公開講座「日本人の教養~かなと漢字~」(第2回)が開催されました。
「中国故事の伝来~熊本城・『蛍の光♪』へ~」をテーマに、第1回に続く時代として、鎌倉時代(武家社会)を中心に、「かな」で書かれた漢籍の翻訳作品『唐鏡』(からかがみ)と『蒙求和歌』(もうぎゅうわか)を取り上げてお話しいただきました。
講師は本学 日本語・日本文学科教授の桐島薫子先生です。
「熊本城」では本丸御殿が復元され今年から公開されましたが、そこに「昭君の間」(しょうくんのま)と呼ばれている部屋があります。そして、小学校唱歌の「蛍の光」。これらはそれぞれ中国の故事(昔話)が起源となっているそうです。
それらの故事と、それらを引用している鎌倉時代の書物やその前後の流れについて具体的に解説してくださいました。
まず、熊本城「昭君の間」の障壁画の起源は、中国の「王昭君」(おうしょうくん)という中国の女性の故事であることや障壁画の「王昭君像」と『唐鏡』で引用されている表現との関連などが紹介されました。『唐鏡』は中国史入門書でもあり、武家社会における故事の受容と教養との関係が窺えます。
また、「蛍の光」「窓の雪」の歌詞は、「蛍雪の功」という中国の故事が起源で、『蒙求和歌』での引用が紹介されました。「窓の雪」は、中国の初学者用の教科書『蒙求』にある「孫康映雪」という四字熟語とその注に比べて、『蒙求和歌』(冬部)では「ヨモスガラスダレヲノミゾカカゲツル フミミルニハノユキノトモシビ」というように日本的な余韻のある捉え方がされています。
『蒙求』によって広く知れ渡った故事が、『蒙求和歌』では、日本的な感覚・情緒に合ったものとなり、さらに「かな」によってわかりやすくなり、一気に広がっていったそうです。
さらに、「小学校唱歌「蛍の光」の誕生は、このように広く知られた「蛍雪の功」の故事の他、明治の近代化による欧化政策、儒教教育、国語教育者の活躍、アメリカの音楽教育、スコットランドの民謡など、当時のさまざまな国際的な要素が合わさってできたものであると思います。」と桐島先生は述べられました。
今回も本学の学生、社会人の方々など多くの方にお越しいただきました。
受講された方から、「中国文学が日本文学に与えた影響については興味を持って勉強しているのですが、「蛍雪の功」についての新しい話や、熊本城に関して「王昭君」という別の視点からのお話が聞けたので参考になりました」という感想をうかがい、今回もまた大変有意義な講座となったことを改めて実感しました。
次回は最終回、10月11日「読書百遍!~江戸時代の子どもはどう学んだか~」に続きます。
(報告/現代教養学科 元村菜津美)
公開講座の詳細・受講申込みはこちら
http://www.chikushi-u.ac.jp/lecture/