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公開講座「文学と南(7)」③を開催しました【社会連携センター】

近・現代詩の地平 第3回

「戦後詩・遺言執行人の行方とは~鮎川信夫の南~」講師:渡辺玄英

 9月28日(土)、太宰府市いきいき情報センタ―209教室にて、公開講座「文学と南(7)―近・現代詩の地平―」を開催しました。
 この講座は文学部日本語・日本文学科の松下博文教授がコーディネーターとなり、近・現代の詩人たちの文学的な営みを「南」との関係でとらえていく3回連続の講座です。

 第3回目の今回は「戦後詩・遺言執行人の行方とは~鮎川信夫の南~」と題して、第2回に引き続き詩人としてご活躍されている渡辺玄英先生をお招きしてお話しいただきました。講座は前半は大正から敗戦を迎えるまで有名な詩人たちの作風が時代の影響を受け変わっていったということ、後半は鮎川信夫の詩について詳しくお話していただきました。

 昭和十年代、プロレタリア、モダニズム、近代抒情詩を代表する詩人たちはそれぞれの感性ですばらしい作品を書いていました。しかし、アジア・太平洋戦争が激化するにつれて次々に戦争協力詩を書くようになりました。そして、戦争が終わるや否や、戦争のことを無かった事にするかのような詩や評言を列ねていきます。

 周囲の声や風潮に呑まれ作風を変えてしまった詩人たち。しかしそれは今の私たちにも通じるものがあるのではないか、と渡辺先生は話されました。
 鮎川信夫はそんな戦争の時代に青春を送りました。詩の端々には戦争の影が見え、明るいイメージのある太陽という言葉でさえ「信ずるに足らない」と詩の中で書いています。そして平和になった世の中はどこか俗っぽくて薄っぺらだということが詩から読み取れると述べられ、そして鮎川の南のひとつとは太陽が最も高い位置にくる正午、8月15日の玉音放送で世界が変わった時だということも述べられました。

 今回の講話では受講者の皆さんも同調圧力とそれに対する批判などを真剣に考え、中身の濃い質問が飛び交いました。

 鮎川信夫のように「外部との世界に線を引いて冷静になる」ことは今の時代でも重要なことではないでしょうか。渡辺先生の分かりやすいお話で鮎川信夫という詩人と作品を通して受講者の皆さんも過去、そして今を考えるきっかけにもなったのではないかと思います。

報告/文学部 日本語・日本文学科4年 大賀由葉

 

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https://www.chikushi-u.ac.jp/lifelong/lecture/