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公開講座「第23回仏教学研究室公開講義」④を開催しました【生涯学習センター】

 10月22日(土)、朝倉市のピーポート甘木において、第23回仏教学研究室公開講座「ビジュアル~ブッダの歩んだ道~ ④王舎城の悲劇:ラージキル」を開催しました。
 講師は文学部の宇野智行教授です。

 今回は、ある親子の悲劇の地であり、ブッタが多く説法を行った地の一つでもある、王舎城について学びました。
 王舎城の悲劇とは、王舎城に住むビンビサーラ王とイダイケ王妃の息子、アジャセによるクーデター事件のことを指します。アジャセは悪友デーヴァダッタにそそのかされ、父ビンビサーラ王を幽閉し、さらに母イダイケ王妃までも幽閉してしまいます。イダイケ王妃はブッタに浄土についての説法を求め、『観無量寿経』の説法を受けます。一方、ビンビサーラ王は、牢獄の窓から見える霊鷲山にいるブッタへ礼拝をすることで、餓えをしのぎ生き延びていました。しかし、これを知ったアジャセは礼拝できないよう使者に命令したため、王はついに亡くなります。その後、アジャセは後悔の念に苛まれ、ブッタの『大般涅槃経』の説法を受け救われました。
 仏教外の文献にも似たような話があることから、この話は史実と考えてよいとされているそうです。
 また、王舎城の霊鷲山についても学びました。霊鷲山はインドのビハール州にある山で、ブッタが説法を行った場所です。ここは七世紀頃の記録ののち、正確な位置が把握できなくなっていました。カニンガムという人物による調査が行われますが、発見には至らず不明なままでした。その後、七世紀の記録と一致する場所が発見され、現在のところ、発見者は、大谷探検隊ではないかとされています。探検隊隊員の日記からは、発見時の霊鷲山付近はジャングルに埋もれており、虎が生息していることや、広大な土地の調査による疲労についての記述などもあり、多大な苦労がうかがえました。
 現在の霊鷲山は発見当時に比べ、綺麗に補修されています。大谷探検隊が撮影した写真と、宇野先生が撮影した同じアングルの写真と見比べることで、その変化を知ることができました。
 話と実際の場所の写真を照らし合わせることで、当時の状況を頭の中で整理することができ、実際に見てみたいと感じました。

報告/日本語・日本文学科3年 勝本京(公開講座サポーター)

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