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❀ 太宰府天満宮 ❀『筑紫語文』から「古寺探訪」

日本語・日本文学科では、1回生の卒業以来、学科の学修活動を表すものとして『筑紫語文』を刊行してきました。前年度の優秀論文を中心に、博物館学芸員課程や教職課程、日本語教員養成課程の活動、文芸創作科目の作品などの学修成果と、学科として行っている特別講義・公開講座の報告や教員の研究余滴・コラムなどを掲載しています。
 今回は第17号(2008年度)の記事の中から、橘名誉教授の「古寺探訪 太宰府天満宮を訪ねて」をご紹介します。

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古寺探訪  太宰府天満宮を訪ねて

橘 英哲(日本語・日本文学科名誉教授)

 

安楽寺天満宮

 近松門左衛門の浄瑠璃『天神記』は、後の名作浄瑠璃『菅原伝授手習鑑』の元になった作品であるが、その第三の口に次のような文がでてくる。

娘の小梅牛引とめ、是父っさま、左の方は 箱崎の松原、春は一しほ青み立ちわっさりとしてそれはそれはよい景気、
右の方には安楽寺の塔の軒端、桜がやうやう火をとぼせば梅がちらちら散る風情どふもいわれぬ景なれど

 これは太宰府の浜辺の場面である。もちろん太宰府が海岸であるはずもないが、ここに安楽寺としてでてくる寺が現在の太宰府天満宮である。箱崎の松原と安楽寺の塔が一目で見渡せるというのが面白い。どちらもよく知られた筑前の風景だったのであろう。

 太宰府天満宮は創建当初から安楽寺という名称であり、安楽寺天満宮(天満宮安楽寺とも)とよばれていた。この名称は明治の神仏分離まで続く。この「古寺探訪」で太宰府天満宮をとりあげる所以である。ちなみに現在の太宰府天満宮という名称は、戦後の昭和二十二年からだそうである。

 

安楽寺の盛衰

 菅原道真が失意のうちに没したのが、延喜三年(903)、一説によればその直後、四十九日の法要に観音堂が建立されたともいわれるが、その後、年をおって多くの堂宇が建立されていく。安置される諸仏も釈迦如来・阿弥陀如来・普賢菩薩・文殊菩薩などと多彩である。僧侶、神官の信仰心も篤く、天台宗では重要な行事でもあった法華会なども行われ、鎮護国家の祈願も盛んであったようである。特に平安時代末までは平氏との関連が強く繁栄したが、平氏滅亡とともに中世には一時衰退した。文明十二年(1480)にこの地を訪れた宗祇の『筑紫道記』には次のように記されている。

  経蔵・宝塔・諸堂・末社・皆星霜経りたる 中に、安楽寺いたう廃して、瓦落軒敗れて 忍ぶ草も頼りなきにやと見えて、

 その後、近世に至って再建され、所領も多く寄進されて再び繁栄することとなる。

 

安楽寺と梅花

 梅の花は古く中国からもたらされたが、日本人の気質にあったのであろうか、万葉人に愛されることとなった。『万葉集』巻五におさめられた、天平二年正月十三日太宰府における梅花の宴の歌は三十二首におよぶ。梅と太宰府の結びつきは古代にまでさかのぼるのである。そしてこうした催しは、太宰府が地方官庁としての機能をしだいに失っていった後は、安楽寺天満宮が担当したのである。現在に残る曲水の宴なども、そうした伝統の中にあったものであろう。

 もちろん道真が、ことのほか梅花を愛していたのはそのとおりかもしれない。道真の詠歌といわれる「東風吹かばにほひおこせよ梅の花、主なしとて春を忘るな」は、後に飛梅の伝説を生むことになる著名な歌であり、その邸宅は紅梅殿とよばれていたという。しかしおそらくは、子どもたちを都に残して配所に旅立つ道真が、梅によせて子どもたちと別れを惜しんだ歌でもあるのであろう。

 道真と梅花との結びつきが特に意識されるようになったのは、むしろ中世の禅僧たちの働きによるものであるという説がある。いわゆる渡唐天神の伝説である。これは和漢の思想の融合をはかったことから生まれたものであるが、この天神の像が梅の花をもっている。そのことから、道真が特に愛でた花であると世に知られるようになったというのである。あり得る説であるように思われる。ここにも仏教との関連がうかがえるのである。

天満宮訪問

 梅雨の晴れ間の六月末、久しぶりに天満宮を訪ねた。いわゆるシーズンオフなのであろうが参詣者は多い。特に外人の姿が目立つ。境内の青葉が美しい。四季のはっきりした日本は、それぞれに美しい景色を見せてくれるが、若葉がしだいに色をましてゆくこの頃も、いいものである。

 そのかみの安楽寺に敬意を表し参拝の後、本殿向かって右の回廊の外に出る。そこの石垣の上に相輪樘とよばれる塔が建っている。説明板には仏教の塔の新しい形式で、伝教大師によって伝えられたとある。享和二年(一八〇二)の建立で比較的新しいものであるが、九州ではこの一基のみという珍しいもののよし。しかし、現在の天満宮の中でおそらく唯一、かつて安楽寺であったことをしめす建造物である。天満宮参拝のおりは、ぜひ訪れてみることをおすすめする。以上概略ながら、太宰府天満宮と仏教という、神仏習合の時代の一端をのべてみた。

 

『筑紫語文』第17号(2008.10.10)より

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