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オープンキャンパス✿ミニ講義ダイジェスト(1) ☆日文の学び

 2021年8月8日、オンラインで行ったオープンキャンパスでのミニ講義をご紹介します。
 トップバッターは、松下博文教授です。中学校の教科書などにも採られている、太宰治の「走れメロス」を大学で読む。それはどのような行為なのか、ということが紹介されます。
 三年生科目、近・現代文学演習では、多様な視点から自由に発想を広げ、調査し、議論しながら、考察を深めていきます。講義の終盤で松下教授は、「閉じた形での読みではなく、限りなく自分を開いて、思考を解放してほしい。」と語っていました。

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■解説 ミニ講義「走れメロス」と〈帝国〉(マルチチュード)

――真の勇者は誰か――

松下博文

 みなさんは、「走れメロス」を、主人公メロスと友人セリヌンティウスの「友情」と「信頼」、暴君ディオニスの改心(人を信ずること)の物語として読んできたと思います。
 しかし作品のテクスト解釈は幾通りもあって、古代ローマを舞台にした紀元前の物語を、時空を越えて、21世紀の「政治」「経済」「ネットワーク」の視点から読み替えてみるとどのように理解されるのか、を考えたのがこの講義です。

 手引きとして、イタリアの哲学者アントニオ・ネグリとアメリカの比較文学者マイケル・ハートの共著『〈帝国〉』『マルチチュード』を参考にしました。この著書はグローバル世界の到来を予見し、21世紀初頭(2003年邦訳)に書かれたものです。
 『〈帝国〉』―いわゆるカッコ付きの〈帝国〉とは、強い支配力を地球規模で実現可能にする超国家的なネットワークシステムのことです。このシステムは、不特定多数の集合体である群れによって作られ、その群れをマルチチュード(Multitude)と呼びます。たとえば、インターネットやビットコイン(仮想通貨)がそれにあたります。
 ネグリ/ハートは、21世紀の民主主義(ブローバル市民社会)と世界経済(グローバル経済)は、たとえば古代ローマ皇帝カエサル、大英帝国女王エリザベス1世、大日本帝国憲法下の明治天皇、モンゴル帝国初代皇帝チンギス・ハーンなどの絶対的統治者(帝国)やアメリカのドル、ロシアのルーブル、フランスのフラン、中国の人民元、日本の円、という国家単位で管理される貨幣(帝国)ではなく、不特定多数の群れから成り「国家の顔」をもたない、インターネットやビットコインのようなノマド(1ヶ所に定住せず移動しつづける遊牧民)的な超国家的なネットワークシステム=〈帝国〉(Multitude
)によって支配されると説きました。

 この考えを「走れメロス」に応用すると、みなさんがこれまで理解してきた世界が次のような世界に読み替えられます。

① 国王ディオニス(シラクスの君主=帝国)

② 牧人メロス(ノマド=シラクスを自由に出入りする超国家的なネットワークシステム=〈帝国〉)

牧人メロス〈帝国〉が、国王ディオニス(帝国)を征服した物語

 ひとまず、物語の内容を流れに沿って確認してみましょう。便宜上、「上」「下」ふたつに分けてみました。

■「上」(激怒するメロス―国王の苦悩―三日の日限と人質の提示)

 通し番号①②③④は、暴君ディオニスへのメロスの激しい怒りと人間不信に陥った国王の苦悩、⑤⑥は王の人間不信を取り払うためセリヌンティウスを人質に差し出し、三日を限りとして妹の結婚式へ行く場面です。

①メロスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。「あきれた王だ。生かしておけぬ。」(激怒するメロス)

②「わしだって、平和を望んでいる。」「おまえには、わしの孤独がわからぬ。」「人を信ずることができぬ。」(王の孤独と人間不信)

③「なんのための平和だ。」「罪のない人を殺して、なにが平和だ。」

④「黙れ。」「口では、どんな清らかなことでも言える。わしには、人のはらわたの奥底が見えすいてならぬ。」

⑤「処刑までに三日間の日限を与えてください。たった一人の妹に、亭主をもたせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰ってきます。」(三日の日限=妹の結婚式)

⑥「とんでもないうそを言うわい。逃がした小鳥が帰ってくるというのか。」
 「この町にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いていこう。私が逃げてしまって、三日めの日暮れまで、ここに帰ってこなかったら、あの友人を絞め殺してください。」(三日の日限=人質)

■「下」ふりかかる災難―友情と信頼―国王の改心)

 通し番号⑦は、シラクスへ戻る途中、山賊の襲撃に遭うメロス、⑧は、日没ギリギリに刑場に辿り着くメロスと

はりつけの縄をほどかれるセリヌンティウス、⑨は、二人の「友情」と「信頼」を目の当たりにした国王ディオニスが、「信実」(嘘いつわりのない心)が虚妄でなかったことを認めて改心する場面です。

⑦「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒を振り上げた。「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。

⑧すでにはりつけの柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々につり上げられてゆく。メロスはそれを目撃して最後の勇、先刻、濁流を泳いだように群衆をかき分け、かき分け、「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精いっぱいに叫びながら、ついにはりつけ台に上り、つり上げられてゆく友の両足に、かじりついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。許せ、と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。

⑨「おまえらの望みはかなったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。

 内容を簡単にまとめてみれば、《牧人メロスが国王の「人間不信」を回復させるため、友人セリヌンティウスを人質に差し出して、現実的行動(信頼の回復)を企てる物語》となります。そしてこうした理解がみなさんの一般的な理解ではないかと思います。

 しかし前に示したネグリ/ハートの『〈帝国〉』『マルチチュード』を参考にすると《牧人メロス(超国家的なネットワークシステム=〈帝国〉)が国王の「政治」を回復させるため、友人セリヌンティウス(シラクス市民)を人質に差し出して、現実的行動(市民社会の回復)を企てる物語》と読み替えることが可能です。単純化すれば以下のようになるのです。

牧人メロス〈帝国〉が、国王ディオニス(帝国)を征服した物語

 

 ただ、メロスとセリヌンティウスによってディオニスが改心し、シラクスの町に平和な市民社会がもたらされたかというと決してそうではありません。作品の最大のポイントは「群衆」(マルチチュード)の存在です。ともすると、わたしたち読者はこの不特定多数の「群衆」の存在を忘れがちです。作品の末尾を見てみましょう

磔の場面

 すでにはりつけの柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々につり上げられてゆく。メロスはそれを目撃して最後の勇、先刻、濁流を泳いだように群衆をかき分け、かき分け、「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ。メロスだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精いっぱいに叫びながら、ついにはりつけ台に上り、つり上げられてゆく友の両足に、かじりついた。群衆は、どよめいた。あっぱれ。許せ、と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。

■「王様万歳」の場面

「おまえらの望みはかなったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」。どっと群衆の間に、歓声が起こった。「万歳、王様万歳。」

 磔(はりつけ)の場面でメロスとセリヌンティウスを〈あっぱれ。許せ〉と叫ぶのは「群衆」ですし、〈信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。〉という国王の言葉を〈万歳、王様万歳〉と受け入れたのは「群衆」です。「群衆」=「シラクス市民のネットワーク」が、メロスとセリヌンティウスとディオニスをそれぞれ「勇者」に押し上げたのです。このネットワーク作りの功労者がカッコ付きの〈メロス〉=超国家的なネットワークシステム=真の勇者ということになるのです。

*講義内容は大学三年生レベルなのでかなり難しく感じたかもしれません。
 しかし、大学の学びの楽しさ面白さは多様な視点からのアプローチと自由な発想です。表現やコトバにこだわりながら筑女で「文学」しましょう。

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No.136 **********