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This is My Story

2021 幼児保育コース 編

第一章

子どもが、好き。

私は小さいときから、子どもが大好き。

親戚には年下の子が多く、彼らの世話をしたり、近所の子どもたちの相手をしたりするのが楽しくて、いつも周囲の大人からは「面倒見のよい子」と言われて育った。

そんな私が、将来は小さな子に関わる仕事を、と心に決めたのは中学生のとき。かつて通った幼稚園の優しい先生の姿が忘れられず、自分もそうなりたいと強く思うようになった。

筑女を志望したのは、伝統があり、資格の取得以外にもさまざまなプログラムが用意されていたから。少人数制だし、自宅から通えることも決め手となった。

幼児保育コースの授業は充実していて、一年次からみっちりカリキュラムが組まれている。高校生のときよりも勉強漬けの毎日だが、経験豊富な先生方の講義はどれも面白く、一歩ずつ夢に近づいてゆく手ごたえがある。授業の中で、初めてクラスメイトの前で絵本の読み聞かせをしたことも忘れられない思い出だ。緊張しながらも、手にした絵本のきらめき。「ああ、私も先生になれる!」と思えた瞬間だった。

筑女には、絵本について専門的に学べる「認定絵本士養成講座」も開設されている。自分がこれまで無意識に触れてきた絵本に、計り知れない力が秘められていることに気づいたのも、この大学に通うようになってからだった。

同じ目標を抱くクラスメイトとはすぐに仲良くなり、少人数でのグループワークやディスカッションを繰り返すうちに、自ずと自分の意見をはっきり言えるようになった。

一年生後期からは、いよいよ実習が始まった。大学生活の早い段階から現場の空気に触れられることも、附属幼稚園を持つ筑女ならではの特徴の一つとなっている。まずは連携する筑紫女学園大学附属幼稚園で見学実習を体験し、二年生からは、それぞれが希望する幼稚園や保育園で約二週間の実習を体験するのだ。

子どもと関わることには自信があった私だが、実際、保育園でゼロ歳児に火のついたように泣き出されたときは怯んでしまった。どうあやしても泣き止まず、全身で訴えてくる赤ちゃん。ところが、途方に暮れる私をよそに、保育士は動じることなく優しく赤ちゃんを抱きあげると、まるで手品のように静かに眠らせてしまった。その光景を目の当たりにしたとき、どんなに相手が小さくても彼らと信頼間係を築けること。そして保育という仕事の素晴らしさや難しさ、自分の未熟さを思い知らされたのだった。

第二章

いろいろな、保育。

大学生活に慣れたころ、私は学童保育のアルバイトを始めた。

放課後の小学生児童を対象に、一緒に宿題をしたり、遊んだりして見守るという仕事だ。学年もさまざまな子どもたちと接するのは楽しかったが、なかにはどうしてもうまく意思疎通がとりにくい子もいた。そして、彼らの存在が私の中で大きくなり始めたのもこのころからだった。

二年生になっても相変わらず授業は忙しかったが、私のまわりでは、幼児教育に関心のある海外留学生と交流したり、大学が主催する「幼保英検講座」を積極的に受講したりする友人も現れ、一年次から受講できる「ピアノサポート講座」に力を入れ始める子も増えた。学内の環境は整っていて、いつもピアノの音色が聞こえるピアノレッスン室はもとより、「ミトラのひろば」という名の模擬保育室も完備されている。ピアノが全く弾けなくても、プロの講師による個人指導が受けられるので、みんな安心してみるみる上達していった。

そのうえ先生方との距離が近いことも支えとなった。どの先生も私たち一人ひとりのことを気遣ってくださるので、些細な悩みでも相談できた。幼児教育への理解を深めようと、海外で「チャイルドケア」というボランティア活動に挑む友人や、地域の人々にも寄り添える保育者になりたいと、筑女の社会福祉コースの学生が立ち上げたグループ「LYKKE(リッケ)」に参加して子ども食堂の活動を始めた友人など、彼女たちの背中を押してくれたのも、そうした先生方の温かい励ましだった。

こうして将来に向かって着実に前進するクラスメイトの姿をまぶしく思いながらも、私は依然として、幼稚園の教諭になるべきか保育士にするか悩んでいた。

ところが、変化はやって来た。

きっかけは、三年生での施設実習。ここで初めて、学童保育のアルバイトで接したような、言葉では意思疎通のとりにくい子とよく似た行動をとる子どもたちと出会い、それが発達障がいと関連があることを知ったのだ。これを機に心理学にも興味を持つようになった私は、発達障がいの研究や家族支援を行う心理学の先生のもとを頻繁に訪ねるようになり、彼らとの関わり方を模索するようになった。

「あの子たちともっとコミュニケーションがとれたら」

その願いは、日に日に大きくなってゆくのだった。

第三章

未来へ、羽ばたく。

実習を終えたある日、久しぶりにクラスメイトの莉子さんと学内のカフェでお茶を飲んだ。

私より一つ年上の莉子さんは行動的で、皆に頼られるお姉さん的存在。母親の営む幼稚園を継ぐ夢を持つ彼女は、高校時代の先生や先輩など多くの人に勧められて筑女に進学し、はた目にもイキイキと、熱心に幼児教育を学んでいた。そんな莉子さんは、最近また一つ夢が広がったと教えてくれた。母親の幼稚園を、いずれ大学の構内にある「筑女の森」のような緑いっぱいの場所に育むのだと言う。

「私ね、この大学で過ごすうちに、子どもにとって本当に大切なことは、自然豊かな環境で、一人ひとりがのびーのびと主体性を伸ばせるように寄り添うことではないかな、と思うようになったの。子どもたちが心からやりたいと願うことを、全力で応援できる先生になりたいなあ」

たとえ結婚しても、出産しても、筑女で学んだことを大切に歩み続けたい。そう語る彼女は以前にも増して輝いて見えた。そのころから、次第に私の将来の方向性も定まってきた。

子どもたちやその保護者に幅広い支援ができる働き方として、公務員保育士という仕事を考えるようになったのだ。

ハードルは高そうだけれど、チャレンジしてみようか。

決断すると早かった。何しろ筑女には、公立園の保育士を目指す学生を支援する体制が整っているのだから。さっそく「公務員試験対策講座」を受講し、実習支援センターでアドバイスを受けることにした。四年生になると公務員試験に向けてさらに猛勉強。同時に、卒論のテーマを「気になる子どもへの対応」と決め、学童保育のアルバイトで接したような言葉では意思疎通がとりにくい子や、集団の中でも浮いてしまう子など、自分が気になる子どもたちへの関わり方の研究を進めた。

勉強の傍ら、私は保育士の仕事に役立つように、「ピアヘルパー」の資格も取得した。そして、念願だった公務員試験にも晴れて合格。今は論文も仕上げて、卒業を待つばかりだ。

苦楽を共にしたクラスの仲間も、それぞれ自分の道を見つけて羽ばたこうとしている。みんな、どんな社会人になるのかな。

筑女を選んで間違いなかったという確かな手ごたえとともに、期待と不安と喜びと、これから保育のプロフェッショナルとして歩き出す私の胸に、いろいろな想いがあふれた。

2020 現代社会学科 編

第一章

明るい日差し

高校三年の二学期になっても、私は進路を決めかねていた。将来やりたいことがわからない。

未来の方向性なんて、いくら考えても浮かばないし、具体的な目標もなかった。そのくせ友達が次々に進路を決めるのを見ると、ひどく落ち込んだ。こういう自分を変えたいという思いはあったけれど、ただ焦る気持ちのまま時間だけが過ぎていった。

そんなある日、担任の先生が薦めてくれたのが、筑女の現代社会学部だった。新設学部だし、少人数制でサポートも手厚い。私のようなゆっくりタイプには向いているのではないか、と。最初はピンと来なかったが、筑女みたいな落ち着いた環境で主体的に学べば、眠っている可能性が引き出せるかもしれない、という先生の言葉に心が揺れた。

「それに新しい学部って、自由度が高そうじゃないか。いろんなことにチャレンジできる面白さは、きっとあると思うよ」

どんより覆われた雲のすき間から、光が差した瞬間だった。

現代社会学部に入ってみると、不思議なくらい違和感がなかった。クラスメートの中には、将来は出版や広告業界で働きたいという明確な意思を持って入学した子もいれば、私と同じように、将来像が描けないままやって来た子もたくさんいた。悩んでいたのは自分ひとりじゃなかったんだ、という安心感。やっと居場所を見つけた気がした。さらにオリエンテーションで聞いた、ある先生の話が胸に響いた。

「この4年間、ここで一生懸命頑張れば必ず変わる。勇気を持って挑戦すれば、成長する学びが必ずあります。」

きっぱりと、そう断言されたのだった。

授業は想像以上に多彩で、魅力的だ。

どれも高校時代の教科書にはないものばかり。マーケティング論や観光学、アニメやポピュラー文化、環境問題など、受講するたびに、発見がある。教室を出てフィールドワークに出掛けることも少なくなく、女性と社会の関わりやライフマネジメントなど、これからどのように人生を設計するか、じっくり考える機会を与えられたことはありがたかった。

一年次後期からは、ゼミも始まった。こうして多面的に、深く広くアプローチしていると、自分は今、世の中の実態を学んでいるのだという充実感をあらためて感じた。

第二章

変化の予兆

将来の進路は依然として定まらなかったが、ゼミが始まると、私の周囲では少しずつ変化が見られた。

地域デザインに興味を持つ友人の春香は、ゼミの調査で農村や離島へ出掛けては、「自然と共生するまちづくり」を目指すフィールドワークに夢中になっている。石垣島では農家にホームステイしながら農作業をし、地元のNPOの人たちが取り組むサンゴ礁の保全のための活動をしたり、地域の子どもたちとのキャンプにも参加したりしたという。自然環境を守りつつ、持続可能な地域づくりに挑む現地の人々から学ぶことは多く、訪ねるたびにたくさんの気づきがあるらしい。

「おかげで、いろんな課題に直面しても自分の頭で考えたり、意見を述べたり、皆と協力する習慣はついたと思うよ」

そう生き生きと語る彼女に、私はいつも刺激をもらい、こんな学びのスタイルもあるのだなと感心するのだった。

なにしろ少人数制なので、先生方との距離も近い。

私も授業の合間にオープンキャンパスの手伝いをするうちに、担当の先生と頻繁に話すようになり、進路のことや海外にも行きたいことなど少しずつ相談するようになっていた。

そうしたなかで、「筑女ネパールプロジェクト」にも関心を持つようになった。大地震で被災したネパールの復興教育支援をしようと、現代社会学部の先生が中心となって立ち上げたボランティア活動で、現地の校舎再建を支え、子どもたちへ文房具を届けるというものだ。さっそく私もメンバーに加わり、まずは寄付金を募ることから始めたのだった。

ところが、やっとの思いでネパールを訪ねると、日本とはまるで異なる生活環境にカルチャーショックを受けてしまった。停電は日常茶飯事。断水も頻繁で、テレビで見た復興状況とはほど遠い。けれど、そんな状況でも懸命に学ぼうとする子どもたちや支える大人たちがいて、彼らの姿を目の当たりにすると、将来に対する自分の悩みなどちっぽけなことに思えた。

とにかく今は、目の前の活動に全力投球しよう。

その時、私は初めて心の底からネパールの人たちを応援したいと思った。それも一回参加して終わりではなく、今後も可能な限り彼らの役に立ち続けたい。そんな自分になれたらな、と。

同じ学部の有希と親しくなったのは、翌年のネパール訪問でのことだった。

第三章

自分の道

有希とは、それまであまり話したことはなかった。すでに二年次からインターシップに参加するなど、学外の企業や他大学の人たちと積極的にネットワークを広げる彼女は、私にはまぶし過ぎて、近寄り難い存在。同じ年齢なのに、ずいぶん大人びて見えた。でも、そんな彼女も実際は、私と同じように将来を模索し、この筑女で現状を変えてきたことを知った。

アイデア豊富な有希は、それまで私たちが寄付で集めていた復興資金を、ソーシャルビジネスとして展開しようと提案した。

「ソーシャルビジネス?」

「そう!現地の商品を私たちが仕入れて、日本で売って資金にするの。フェアトレードだよ」

そんな大それたこと、できるの?最初は半信半疑だったが、ゼミの先生や仲間と話すうちにみるみる具体化し、ついに次の訪問では私がバイヤーをすることに。それは、奇しくも私のなかに「雑貨屋さんをしたい」という幼いころの夢を蘇らせ、ネパールとの交流を続けながら、いつかは自分のソーシャルビジネスを、という目標を抱くきっかけとなった。

そんな私たちもこの春、現代社会部初の卒業生。

私は雑貨を扱う流通業のマーケティング担当に内定し、ネパールの子どもたちに触発された有希は、IT企業へ。日本の教育システムを見直すという壮大な仕事に挑むらしい。在学中にフィールドワークを重ねた春香は、今後も自治体のブランディング活動に携わりながら環境問題について考えるという。三人三様、卒業後はそれぞれ自分で切り拓いた道を歩むことになる。

先日、久しぶりに帰省した弟が感心したように私に言った。

「姉ちゃんさあ、他の大学だったらきっと埋もれてたよね」

「えっ?」

「だって、高校の時と全然違うじゃん。自分のやりたいこと、見つけてさ、そんな行動的だったっけ? 変わったと思うよ」

人のことなどめったに誉めない子だけれど、そう言われて素直に嬉しかった。それを聞いた母も、台所でくすくす笑っている。実は、最近母も同じことを言うのだ。何をするにも自信がなくて、迷ってばかりいた四年前の私からは想像もつかないほど成長したって。

「筑女に行かなかったら、今の私はいないよね」

ここに間違いなく世界中の誰より、自分を信じる私がいる。

2018 英語学科 編

第一章

別人、と呼ばれて

正門への坂道をのぼりながら、わたしは先日、街で会った高校時代の同級生との会話を思い出していた。

卒業以来、四年ぶりの再会だった。互いに近況を報告し合った後、去り際に彼女が感心したようにつぶやいた言葉が耳に残った。

「なんだか、亜紀、大人になった?別人みたい」

「えっ?」

「だって、とっても楽しそうじゃん!」

思いがけないことだった。

それって、成長したってこと?

わたし、変わった?

筑女に入学し、卒業を間近にひかえた今、高校生だった当時をふり返ることがある。

あのころは、将来何がしたいのか、さっぱりわからなかった。夢とか希望とか、わたしにはあまりに遠いところの話で、いや、ほんとうは真剣に考えなきゃいけないのに、何を決めるにも他人まかせだった。

もちろん幼い時から、CA(キャビンアテンダント)への憧れはあったけれど、自分には絶対に無理と思っていた。あれは特別な才能のある人だけの仕事だと、ずっと信じて疑わなかった。

だから筑女も、担任の先生に勧められて受験した。ただ漠然と、英語学科がおしゃれな気がして。女子大だし、就職率もいいし。両親も賛成してくれた。そんなふうに進路を決める自分があまり好きではなかったけれど、当時のわたしには、それが精いっぱいの選択だった。

それが四年経った今では、国際交流を通して日本のよさを伝えようなんて、大きな目標を掲げるまでになっている。そして、夢でしかなかった航空会社のCAにも内定。春からはいよいよ社会人になる。

そんなの嘘でしょ。

以前のわたしだったら、間違いなくそう言うと思う。

でも、これはほんとうの話。

不思議だけれど、筑女で過ごすうちに、それも毎日を一生懸命楽しんでいるうちに、何をするにも自信のない引っ込み思案の自分から変身したのだと思う。

これって、すごい。

はっきりそう言える、今のわたしがちょっぴり誇らしい。

第二章

このままじゃ、嫌。

思えば、変身のきっかけは、ある日突然ではなく、毎日少しずつやって来ていたと思う。

アルバイトざんまいだった一年生のころは、とにかく自由を満喫した。

学科の友達もすぐにできたし、意外にも、わたしと同じように漠然と英語学科を選んだ子や、第一志望を落ちて筑女に来た子もいることを知って、心強かった。

それでも二年生に上がるころには、みんなの顔つきが少し変わったことに気づいた。CA志望をはっきり宣言して将来のキャリアプランを描く子や、留学の準備を着々と進めている子も現れて、そんな姿に大いに刺激を受けたし、焦りもした。

「亜紀もCA目指して頑張りなよ。諦めちゃもったいないよ」

素直に励ましてくれる彼女たちを前に、「どうせわたしなんて」などとは絶対に言えなかった。

挑戦してみようか。

気がつけば、ずっと心の箱の中にしまっていた小さいころの憧れを取り出す自分がいた。

そしてそう意識し始めたとたん、見える景色が少し変わってきた。

さっそく学内の国際交流センターを訪ね、思い切って先生にも打ち明けてみた。すると、スタッフの方も先生もとても親身に、CAへの道を目に見える形で教えてくれたのだった。

その夏、わたしはとうとう一カ月間のアメリカ留学へと旅立った。無謀にも、生まれて初めての海外。思っていた以上に、現実はやさしくなかった。

現地で痛いほど味わったのが、自分の英語力の足りなさと、コミュニケーション力の不足。人前で表現することが苦手なわたしを、だれも助けてはくれないし、しゃべるのが怖くて一人で出歩くこともできなかった。すっかり落ち込んで帰国した。

でも、それがよかったのだと思う。

そんなわたしを友だちも先生も温かく見守ってくれたし、俄然ファイトも湧いた。

その時だ。ほんとうに自分を変えたいと思ったのは。このままじゃ、嫌だ。とにかく何かやってみよう。

そうして飛び込んだのが、だれでも参加できる学内の体験プログラムだった。数あるプランの中から、わたしは一つのプロジェクトを選んだ。

第三章

宝もの

「最近、どう? 何か面白いこと、発見した?」

現代社会学科の後輩、里香とは、地域を元気にするというその体験プロジェクトで出会った。

引っ込み思案な自分の性格を変えよう、と一念発起してリーダーに志願したわたしを、彼女がサブとして支えてくれたのだ。学科も学年も異なるけれど、わたしはかけがえのない親友を得たと思っている。いつも前向きで、新しいことが大好きで、ボランティアやフィールドワークに忙しい彼女の話は新鮮で、会えば時間を忘れておしゃべりに花が咲く。

実は彼女も、筑女で自分の学びたいテーマを見つけた、変身派。最初はわたしと同じように、将来の展望がまるで描けずに入学したという。

「失敗してもいいじゃん。今やらずにいつやるの?」が口癖の里香と出会ってから、わたしも、やりたいことはどんどんやろう、と思うようになった。

CA目指して、まずは学内のエアラインスクールを受講、そして太宰府を訪れる外国人相手の観光ボランティアを立ち上げたり、ランチタイムに催されるイングリッシュラウンジやTOEIC®のスコアを上げるための合宿にも積極的に参加した。

おかげで先生たちとも親しくなり、わたしに合った勉強法をアドバイスしてもらうなど、どれほど助けてもらったことか。

結果、晴れてCAにも内定し、TOEIC®の成績もびっくりするくらいアップしたのだった。

「亜紀ちゃん、もうすぐ卒業だよね。いなくなるの、淋しいなあ」

最近の里香は、少ししんみりしている。

「何言ってるの、いつでも会えるじゃない」

今度はわたしが彼女の応援団だ。

それにしても、と思う。

こんなわたし、四年前に想像できた?

何より驚いているのが、自分自身。今のわたしは、ありのままの姿を素直に相手に伝えられるようになって、自信もついた。それに夢とか希望とか、もっともっと手に入れていいんだと思えるようになっている。

「未来はまだまだ広がるぞー」

すこんと抜けた青空の下、わたしたちは風を切って、笑いながら、走る、走る。これがわたしの宝もの。世界でたった一つのかけがえのない、物語(ストーリー)。

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