第一章
子どもが、好き。
私は小さいときから、子どもが大好き。
親戚には年下の子が多く、彼らの世話をしたり、近所の子どもたちの相手をしたりするのが楽しくて、いつも周囲の大人からは「面倒見のよい子」と言われて育った。
そんな私が、将来は小さな子に関わる仕事を、と心に決めたのは中学生のとき。かつて通った幼稚園の優しい先生の姿が忘れられず、自分もそうなりたいと強く思うようになった。
筑女を志望したのは、伝統があり、資格の取得以外にもさまざまなプログラムが用意されていたから。少人数制だし、自宅から通えることも決め手となった。
幼児保育コースの授業は充実していて、一年次からみっちりカリキュラムが組まれている。高校生のときよりも勉強漬けの毎日だが、経験豊富な先生方の講義はどれも面白く、一歩ずつ夢に近づいてゆく手ごたえがある。授業の中で、初めてクラスメイトの前で絵本の読み聞かせをしたことも忘れられない思い出だ。緊張しながらも、手にした絵本のきらめき。「ああ、私も先生になれる!」と思えた瞬間だった。
筑女には、絵本について専門的に学べる「認定絵本士養成講座」も開設されている。自分がこれまで無意識に触れてきた絵本に、計り知れない力が秘められていることに気づいたのも、この大学に通うようになってからだった。
同じ目標を抱くクラスメイトとはすぐに仲良くなり、少人数でのグループワークやディスカッションを繰り返すうちに、自ずと自分の意見をはっきり言えるようになった。
一年生後期からは、いよいよ実習が始まった。大学生活の早い段階から現場の空気に触れられることも、附属幼稚園を持つ筑女ならではの特徴の一つとなっている。まずは連携する筑紫女学園大学附属幼稚園で見学実習を体験し、二年生からは、それぞれが希望する幼稚園や保育園で約二週間の実習を体験するのだ。
子どもと関わることには自信があった私だが、実際、保育園でゼロ歳児に火のついたように泣き出されたときは怯んでしまった。どうあやしても泣き止まず、全身で訴えてくる赤ちゃん。ところが、途方に暮れる私をよそに、保育士は動じることなく優しく赤ちゃんを抱きあげると、まるで手品のように静かに眠らせてしまった。その光景を目の当たりにしたとき、どんなに相手が小さくても彼らと信頼間係を築けること。そして保育という仕事の素晴らしさや難しさ、自分の未熟さを思い知らされたのだった。
第二章
いろいろな、保育。
大学生活に慣れたころ、私は学童保育のアルバイトを始めた。
放課後の小学生児童を対象に、一緒に宿題をしたり、遊んだりして見守るという仕事だ。学年もさまざまな子どもたちと接するのは楽しかったが、なかにはどうしてもうまく意思疎通がとりにくい子もいた。そして、彼らの存在が私の中で大きくなり始めたのもこのころからだった。
二年生になっても相変わらず授業は忙しかったが、私のまわりでは、幼児教育に関心のある海外留学生と交流したり、大学が主催する「幼保英検講座」を積極的に受講したりする友人も現れ、一年次から受講できる「ピアノサポート講座」に力を入れ始める子も増えた。学内の環境は整っていて、いつもピアノの音色が聞こえるピアノレッスン室はもとより、「ミトラのひろば」という名の模擬保育室も完備されている。ピアノが全く弾けなくても、プロの講師による個人指導が受けられるので、みんな安心してみるみる上達していった。
そのうえ先生方との距離が近いことも支えとなった。どの先生も私たち一人ひとりのことを気遣ってくださるので、些細な悩みでも相談できた。幼児教育への理解を深めようと、海外で「チャイルドケア」というボランティア活動に挑む友人や、地域の人々にも寄り添える保育者になりたいと、筑女の社会福祉コースの学生が立ち上げたグループ「LYKKE(リッケ)」に参加して子ども食堂の活動を始めた友人など、彼女たちの背中を押してくれたのも、そうした先生方の温かい励ましだった。
こうして将来に向かって着実に前進するクラスメイトの姿をまぶしく思いながらも、私は依然として、幼稚園の教諭になるべきか保育士にするか悩んでいた。
ところが、変化はやって来た。
きっかけは、三年生での施設実習。ここで初めて、学童保育のアルバイトで接したような、言葉では意思疎通のとりにくい子とよく似た行動をとる子どもたちと出会い、それが発達障がいと関連があることを知ったのだ。これを機に心理学にも興味を持つようになった私は、発達障がいの研究や家族支援を行う心理学の先生のもとを頻繁に訪ねるようになり、彼らとの関わり方を模索するようになった。
「あの子たちともっとコミュニケーションがとれたら」
その願いは、日に日に大きくなってゆくのだった。
第三章
未来へ、羽ばたく。
実習を終えたある日、久しぶりにクラスメイトの莉子さんと学内のカフェでお茶を飲んだ。
私より一つ年上の莉子さんは行動的で、皆に頼られるお姉さん的存在。母親の営む幼稚園を継ぐ夢を持つ彼女は、高校時代の先生や先輩など多くの人に勧められて筑女に進学し、はた目にもイキイキと、熱心に幼児教育を学んでいた。そんな莉子さんは、最近また一つ夢が広がったと教えてくれた。母親の幼稚園を、いずれ大学の構内にある「筑女の森」のような緑いっぱいの場所に育むのだと言う。
「私ね、この大学で過ごすうちに、子どもにとって本当に大切なことは、自然豊かな環境で、一人ひとりがのびーのびと主体性を伸ばせるように寄り添うことではないかな、と思うようになったの。子どもたちが心からやりたいと願うことを、全力で応援できる先生になりたいなあ」
たとえ結婚しても、出産しても、筑女で学んだことを大切に歩み続けたい。そう語る彼女は以前にも増して輝いて見えた。そのころから、次第に私の将来の方向性も定まってきた。
子どもたちやその保護者に幅広い支援ができる働き方として、公務員保育士という仕事を考えるようになったのだ。
ハードルは高そうだけれど、チャレンジしてみようか。
決断すると早かった。何しろ筑女には、公立園の保育士を目指す学生を支援する体制が整っているのだから。さっそく「公務員試験対策講座」を受講し、実習支援センターでアドバイスを受けることにした。四年生になると公務員試験に向けてさらに猛勉強。同時に、卒論のテーマを「気になる子どもへの対応」と決め、学童保育のアルバイトで接したような言葉では意思疎通がとりにくい子や、集団の中でも浮いてしまう子など、自分が気になる子どもたちへの関わり方の研究を進めた。
勉強の傍ら、私は保育士の仕事に役立つように、「ピアヘルパー」の資格も取得した。そして、念願だった公務員試験にも晴れて合格。今は論文も仕上げて、卒業を待つばかりだ。
苦楽を共にしたクラスの仲間も、それぞれ自分の道を見つけて羽ばたこうとしている。みんな、どんな社会人になるのかな。
筑女を選んで間違いなかったという確かな手ごたえとともに、期待と不安と喜びと、これから保育のプロフェッショナルとして歩き出す私の胸に、いろいろな想いがあふれた。