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鄭成功表象に見る東アジア関係

現代社会学部 現代社会学科 一木 順 教授

鄭成功表象に見る東アジア関係

1. 鄭成功とはだれか

私の研究題材である鄭成功は明が終わり、清が勃興してきた17世紀の中国に実在した人物です。彼は滅びゆく明王朝のために最後まで清に抵抗した人物であり、中国本土での戦いに敗れると、今度は台湾に渡り、その地を支配していたオランダ人を破って、台湾で初めての中国人による政権を打ち立てました。

同時に成功は日本とのかかわりも非常に強い人物です。鄭成功という名は成人してから南明の隆武帝からもらったもので、幼名は田川福松といいました。彼は現在の長崎県の平戸で生まれた、中国人の父と日本人の母を持つハーフなのです。そのことは江戸時代に日本でも広く知られており、1715年には近松門左衛門が、鄭成功を題材として『国姓爺合戦』という浄瑠璃を上演しました。これは大ヒット作となり、大阪の竹本座において当時としては異例の17か月連続公演を行ったほどです。

2. 東アジア3か国における鄭成功表象

図1:中国、厦門の鄭成功像
図2:台湾・台南の鄭成功像

現在、日本だけでなく、中国でも台湾でも鄭成功は英雄として称えられています。毎年7月14日に平戸で開かれる鄭成功誕生祭には中国と台湾の両国からの代表が招かれ、3か国の国旗が並べて掲揚されるという他では見ることのない光景を見ることもできます。

しかし興味深いのは、同じように鄭成功を英雄視していながら、この3か国では彼に対する表象がまったく異なっていることです。図1は中国のアモイにある鄭成功の像です。中国における多くの鄭成功像はこのように巨大で鎧と兜に身を包んだ勇ましい「武人」の姿をしています。図2は台湾の台南にある延平郡王祠に祀られている鄭成功像です。台湾における鄭成功像の多くはこのように明朝の服を着た「官僚」の姿をしています。

同じ人物であるにも関わらずこのように表象が異なっているのは、鄭成功へ向けた中国と台湾のまなざしが異なっているからです。中国本土では、鄭成功は漢民族の王朝であった明のために異民族である清王朝に対抗した人物として記憶されています。そのため、彼は勇ましい武人でなければならないのです。これに対して台湾では鄭成功は「開台聖王」と呼ばれ、台湾で初めての中国人政権の樹立者として記憶されています(台湾には彼を神として祀った神社が83社もあります)したがって彼は官僚として記憶されるのです。

では日本ではどうでしょうか。実は日本における鄭成功の表象は時代によって変化しています。大きく分ければ、江戸期、明治から終戦まで、戦後の3つの時代で、鄭成功の表象は変わっているのです。

それだけではありません。21世紀になってから各地における鄭成功の表象が変化しつつあります。台湾にも日本にも武人として鄭成功の姿が見られるようになりました。このこと何を意味しているのか、それ考えるのが現在の私のテーマです。

3. 表象論とは

このように表象論とは、人が作り出したさまざまなものの背後にどのような人間の意識が潜んでいるのかを明らかにしようとする研究です。そのため、題材は、いわゆる「大学の研究材料」っぽいものにとどまらず、皆さんが日常的に接しているものも含まれています。見慣れたもの異なる視点から見ることで新しい発見をする、それが表象論の醍醐味だと私は考えています。

本研究は、2015年度から文部科学省科学研究費・基盤研究(C)の助成を受けて行われています。(課題番号:15K01902)

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